子供の成長を祝って神社・寺などに詣でる年中行事「七五三」。現在では全国で盛んに行われていますが、元来は関東圏における地方風俗でした。
この「七五三」の行事前に身内に不幸があった場合、やるべきか、やらずに見送るべきか考えてみましょう。
七五三の前に身内が亡くなった
もうすぐ七五三という時に、身内に不幸があった場合、やるべきか見送るべきか悩むことがあるでしょう。
七五三の本来の意味は「髪置の祝い」と言い、3歳まで元気で生きてくれたという報告を神様にすることで、これから髪を伸ばしても良いというひとつの区切りの行事です。なので結婚式のようなお祝い事とは意味合いが違います。
前向きに考えれば亡くなられた方も、お子様の成長を天国で見守ってくださるでしょうから、中止にせず身内でお祝いすれば良いのではないでしょうか。
ただし、神社に参拝する場合は忌中(50日)を過ぎてからにしましょう。忌中とは、神道の「穢れ=死を忌む期間」の考え方から、鳥居をくぐってはいけないと言われています。
また、仏教では四十九日法要が終るまでを忌中としています。
確実なのはお参りする神社やお寺に直接問い合わせてみることです。
だからと言って無理にやることもありません
結婚式のような大きな行事ではないからといって、喪が開けてもお子さんの父親や母親が疲れきっている場合は無理にやらなくてもいいのではないでしょうか。
そんな時は家族(親御さんとお子さん)で食事をする程度にするのも良いかと思います。
もしそうするならば、この時期にしか売られていない千歳飴を確保して、落ち着いてから写真を撮りに行けば、お子さんにも形として残してあげられると思います。
まわりの人のことも考えてみましょう
一般的な考えはさておき、気になるのはご家族がどう思われているかだと思います。義理のご両親、ご自身のご両親。やはり反対や非常識という意識があれば、今回は写真だけにするなどして1年先延ばしにする必要もあります。
皆が納得してお子さんの成長をお祝いできることが一番大切なのではないでしょうか。
七歳、五歳、三歳に祝う意味とは
七五三のときに不幸が重なってしまうことは避けられません。そして、喪中はお祝いごとをつつしむべきと考える人も多いです。それは儒教の影響で、喪が明けるまではお祝いごとを控えていたためです。
ところで、なぜ七五三は七歳、五歳、三歳に行なうのでしょうか。
七五三は明治以前は帯解(おびとき)、袴着(はかまぎ)、髪置(かみおき)と呼んでいた子供の成長を祝うものでした。帯解は7歳の女の子、袴着は5歳の男の子、髪置は三歳の男の子と女の子と定めたのは徳川綱吉です。
三、五、七、九という奇数がめでたい陽の数字であるとするのは中国の思想です。綱吉が中国の思想を好んだため三五七という陽の数字をとりいれました。それまでは、2歳から14歳までのなかで適当に行なわれていました。
また、11月15日という日にちも綱吉の長男である徳松の髪置をこの日に行なったことから、この日に決められました。
そのため、本来の意味で考えれば、家に不幸があった場合でも翌年に行なっても、なんの問題もありません。要するに、子供の成長を祝うことに意義があるのです。
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まとめ
七五三はもともとは七歳、五歳、三歳にこだわる必要はありませんでした。
喪中に七五三をするなら忌中(50日)あるいは四十九日を過ぎてから。その際に義理のご両親、ご自身のご両親の反対があるなら翌年にしましょう。