昭和の街並みを再現した超レトロな「江戸東京たてもの園」

※この記事にはプロモーションが含まれています。

※この記事にはプロモーションが含まれています。


懐かしい下町の建物が並ぶ「江戸東京たてもの園」は東京都小金井市にあります。看板建築や「千と千尋の神隠し」のモデルになった場所など、見どころが満載!歴史的な建造物を眺めながら、昭和の風情が残るレトロな街並みでタイムスリップしてみませんか。

江戸東京たてもの園 アクセス

所在地:東京都小金井市桜町3-7-1
電話番号:042-388-3300(代表)
交通:JR中央線武蔵小金井駅下車バス5分
西武新宿線花小金井駅下車バス5分

江戸東京たてもの園は緑豊かな「都立小金井公園内」にあります。

小金井公園内に「SL展示場」があります。蒸気機関車展示車輌は標準2CI過熱テンダ機関車C57186と標準2等緩急車スハフ322146が展示されています。3月から11月までの土曜日、日曜日、祝日、都民の日などの10時から16時まで中に入って見る事ができます。

江戸東京たてもの園 入口(ビジタセンター)

江戸東京たてもの園の出入り口は「旧光華殿(きゅうこうかでん)」。1940年(昭和15年)に皇居前広場で行なわれた紀元2600年記念式典のために建設された式殿です。ここで入場券を買います。

江戸東京たてもの園の出入り口「旧光華殿(きゅうこうかでん)」

江戸東京たてもの園案内図

ビジターセンター内の「ミュージアムショップ&カフェ」は書籍や玩具、小物などの江戸情緒あふれるお土産品などが販売されています。奥にはカフェがあります。

ミュージアムショップ&カフェ

宮崎駿監督デザインのマスコットキャラクター「えどまる」

江戸東京たてもの園内でのランチ

園内には2ヶ所食事ができる場所があります。

デ・ラランデ邸内カフェ「武蔵野茶房」

西ゾーンにあるデ・ラランデ邸内で、喫茶や食事ができます。デ・ラランデ邸は、新宿区信濃町にあった西洋式住宅です。乳酸菌飲料カルピスの発明者である三島海雲氏がこの住宅に住んでいました。

ピリ辛ジャーマンライス(1080円)

ハヤシライス(1080円)

デ・ラランデ邸

デ・ラランデ邸内カフェの様子

店蔵型休憩棟

東ゾーンにある店蔵型休憩棟は1階が無料休憩所になっていて、2階は手打ちの武蔵野うどんや日替わり弁当が食べられる食堂です。注意して見ないと食事ができると気づかずに素通りしてしまいます。

東ゾーンにある店蔵型休憩棟

店蔵型休憩棟(2Fで武蔵野うどん、日替わり弁当が食べられます)

江戸東京たてもの園 千と千尋の神隠しのモデルになった場所

ジブリ映画「千と千尋の神隠し」で千尋が迷い込んだ「不思議の町」は、たてもの園の建物をいくつか参考にしています。

釜爺

「釜爺」が調合する薬の入っている引き出しは「武居三省堂」という文具店の筆入れの棚と同じです。

武居三省堂

薬の入っている引き出し

油屋

「油屋」の唐破風(からはふ:そり曲がった曲線状の装飾)は「子宝湯」の銭湯に似ています。

子宝湯

定食屋

千尋のお父さんとお母さんが豚にされてしまった定食屋は居酒屋「鍵屋」のカウンターに似ています。「鍵屋」は「子宝湯」の向かって左側にあります。

居酒屋「鍵屋」

「鍵屋」のカウンター

都電

黄色い都電は千尋とカオナシが乗る電車です。渋谷駅前を走っていた車両です。

黄色い都電

江戸東京たてもの園を支えるボランティア

従来はスタジオジブリの映画製作発表は都内のホテルで行なわれていました。しかし、「千と千尋の神隠し」は江戸東京たてもの園で行いました。「もののけ姫」以来4年ぶりの宮崎監督の新作で記者発表の様子がテレビや新聞に取り上げられたことにより、衰退していたたてもの園が息を吹き返しました。千尋によってたてもの園は閉園を免れたのです。

千尋ブームで来園者が急増した園を支えてきたのはボランティアの方たちです。

園内には茅葺き(かやぶき)の民家が4棟あります。囲炉裏に火を入れると茅が煙に燻され、害虫よけになります。囲炉裏に火が入ることで民家の様子がいきいきとします。この火の番をお願いしたのがボランティア活動の始まりです。

実際に民家の建物内に入ってみると「おばあちゃんの家」を思い出す香りに包まれています。懐かしい田舎の古い家の映像がよみがえってきます。

ボランティアによる紙芝居

この日はボランティアさんによる紙芝居が行なわれていました。かつてのようなお菓子の販売はないため、ボランティアさんが小さいお子さんたちに「お菓子は後でお父さんに買ってもらってね。」と言ってました。「紙芝居を見ながらお菓子」を連想するの大人だけです。現代のちびっ子たちにはこのジョークは伝わらなかったようで、大人だけが笑っていました^^

紙芝居を見る親子

江戸東京たてもの園 看板建築

「看板建築」と聞いて「看板のついている建物」を想像していたのですが、全然違いました^^;

「看板建築」とは、建物の正面を平らにして銅版やタイルを貼ったり、モルタルを塗ったりした2~3階建ての建物です。「看板建築」という呼び名は建築史家である藤森昭信氏(現江戸東京博物館館長)によって命名されました。

アーチ型の窓をつけたり、青海波(せいがいは)などを打ち出した銅板を施したりしている木造建築です。関東大震災以降、災害で大きな被害を受けた場所に建てられました。タイルや銅板は防火の役割があったからです。

現在6棟の看板建築が公開されています。

看板建築

看板建築

植村邸

植村邸断面図模型

江戸東京たてもの園 高橋是清邸

高橋是清(たかはしこれきよ)邸は明治35年(1902年)に建てられた総栂普請(そうつがふしん)の邸宅です。高橋是清は蔵相などを歴任した戦前の政治家です。昭和11年(1936年)の2・26事件で港区赤坂にあったこの邸の2階寝室で青年将校らの銃弾によって倒れました。

高橋是清邸

高橋是清邸

高橋是清邸2階の廊下

江戸東京たてもの園 旧自証院霊屋

江戸幕府三代将軍徳川家光の側室(通称「お振の方」)を供養するために建立した霊屋(おたまや)です。
※東京都指定有形文化財

旧自証院霊屋

江戸東京たてもの園 三井八郎右衛門邸

三井家は四大財閥の一つ。テレビドラマに出てきそうな豪邸でした。

三井八郎右衛門邸

三井八郎右衛門邸の食堂

レストランの厨房並みの広さの台所

玄関の頭上にあるアール・デコを代表するルネ・ラリックのガラスランプ

2階の仏間前の廊下のシャンデリア。第一国立銀行にあったそうです。虹色に光ります。

江戸東京たてもの園 野外展示物

皇居正門石橋電燈

石橋の欄干両側にある男柱石に6基設置されていたもののひとつ。(所在地:千代田区千代田)

皇居正門石橋電燈

上野消防署(旧下谷消防署)望楼上部

1970年まで使用されていました。旧所在地(台東区東上野5丁目)では23.6メートルの高さがありました。

上野消防署(旧下谷消防署)望楼上部

あとがき

土曜日に行きましたが、あまり混んでいなかったためかストレスなく園内をまわることができました。

移築復元された建物が本物であることに驚かされました。そのせいか建物内に入ってみると不思議と人のぬくもりを感じます。

古民家の匂いが祖母の家を思い出されてくれました。懐かしい記憶がよみがえる「江戸東京たてもの園」。また来よう、そう思いました。

error: 右クリックできません。
タイトルとURLをコピーしました