男性の厄年の中でも42歳は大厄といれています。それはなぜでしょうか。厄年を乗りこえるのに身に着けたいグッズや厄除け神社仏閣をご紹介します。
男性の厄年は何歳?
前厄 | 本厄 | 後厄 |
24歳 | 25歳 | 26歳 |
41歳 | 42歳(大厄) | 43歳 |
60歳 | 61歳 | 62歳 |
男性の厄年は数え年で25歳、42歳、61歳とされています。特に42歳は大厄といわれ、もっとも注意しなければならない年であるといわれています。そして、厄年の前後3年は前厄、本厄、後厄といいます。
前厄とは、厄年の前年のことで、厄年へと向かっていくときです。「厄入り」ともいいます。本厄とは、まさに厄年のときです。特に慎むべき年です。後厄とは、厄年の翌年のことで、厄が薄らいでくる年です。厄が終わりに近づくため「厄晴れ」ともいいます。
厄年は数え年で計算します。誕生月で1つ歳を取るのでなく、お正月を迎える度に1つ歳をとると考えます。したがて誕生日を迎える前であれば現在の年齢に2歳プラスします。誕生日を迎えた後であれば1歳を加えます。
いつから42歳が厄年になったのか
天禄元年(970年)に成立した「口遊(くちずさみ)」という陰陽道(おんみょうどう)の書物の人倫門のという箇所に厄年として「十三、二十五、三七、三九、六一、七三、八五、九一」歳があげられています。
しかし、この中には、現在男性の厄年とされている42歳は含まれていません。(女性の厄年である33歳も含まれていません。)
では、いつから42歳が厄年とされるようになったかというと、江戸時代に入ってからのことです。
十九は苦しみが重なる「重苦」、二十五は「五五、二十五(後々二重後)で死後のこととして忌まれ、三三は「散々」、四二は「死に」に通じるという考え方がもとになっています。
このような語呂合わせは江戸時代に流行した庶民感覚にもとづくものであり、陰陽道とは関係ありません。
しかし、「四」という数字は今でも忌み嫌われている数字です。ホテルの部屋や駐車場などの番号に「四」を抜かしてあるところがあるのは、そのためです。
しかし、単に語呂合わせというだけであれば、現代まで定着することは難しかったと考えられます。
人々が実際に厄年が存在することを認めるざるを得ない状況に直面してきたことがあるからこそ、今日まで継続して信じられてきました。
その結果、信仰や習俗に取り入れられたため厄年を受け入れるようになり、厄払いのために神社仏閣を訪れるようになったのです。
信仰や習俗というのは、それを信じる人が生まれ、信じ続けることで蓄積され重みがうまれてきます。
最初のきっかけは語呂合わせだったかもしれません。しかし、長年の経験から人々は厄年に関心を持ち、厄年をいかしてよりよい生活を送るかを考えるようになりました。
男性の大厄が42歳である理由「厄年は役年」
男性の厄年には、年齢に応じた行動の仕方があることを思いおこさせる大切な役割があります。人生を前半と後半に分ければ42歳は残り半分に突入します。
40代前半という年代は、会社で言えばポストが狭くなってくる時期でもあります。それと同時に肉体的にも衰えを感じやすくなります。
今よりの上のステップになれば今までとは当然仕事内容もガラリと変わってきます。その状況の変化にうまく適応できなかったり、逆に適応しようとしすぎてストレスのあまり心身ともにつぶれてしまうことさえあります。
厄年は役年ともいわれており、42歳では重要な役目につき、61歳では役目から退く年でもあります。祝う年でもあり、身を慎むときでもあります。
42歳が大厄なのはステップアップする「大役」であるため、そして、61歳は現役を退く「退役」であるのではないかと考えることができます。
厄年のときに身につけるもの
厄年で身につけるといいといわれているのが「長い物、七色の物、うろこ柄の物」といわれています。
- 厄年 長い物/うろこ柄の物
長いものは「長寿」を意味します。今よりも寿命が短かったころは長いものは縁起がよいとされていました。年越しそばがいい例です。
そして、長い物の代表といえば「蛇」です。蛇は邪気を祓ってくれる魔除けの生き物とされています。特に白い蛇は神の遣いといわれています。そのため蛇を祀っている神社もあります。
- 厄年 7色の物
仏教の古い経典に「仁王般若経」というものがあります。この中に「七難即滅 七福即生(しちなんそくめつ しちふくそくしょう」という言葉があります。七難とは7つの災難、七福は七福神の元になったとされています。七福神に見立てた7色のものを身につけることで厄を跳ね返すことができると考えられています。
そして、もう一つの説は、遣唐使の一人であった空海が日本から中国に渡るときに安全祈願の7色の小物を用意したといわれています。
さらに、厄を8(や)9(く)とし、7には「やく」がないという、日本人の好む発想もあります。
厄除け神社仏閣10選
日本全国に厄除けを祈願してもらえる神社仏閣が多くあります。厳選してご紹介致します。
- 1.清水寺(京都市東山区)
清水寺が霊験あらたかな寺であるとことは、京都の人たち以外には、あまり知られていません。霊験とは神仏による効験が明らかに表れること、神仏が著しく感応することをいいます。厄除けの霊験は坂上田村麻呂であることに関連しています。また、「清水牛王」にも関連するともいわれています。
- 2.八坂神社(京都市東山区)
かつては「祇園社」といったため、現在でも「祇園さん」の愛称で親しまれています。祇園の神でもある素戔嗚尊(すさのおのみこと)は祇園精舎(ぎおんせいじゃ)の守護神である牛頭天王(ごずてんのう)であるとされています。素戔嗚尊はヤマタノオロチ(八岐大蛇:あらゆる災厄)を退治し、地上に幸いをもたらして神であるといわれています。
- 3.岡寺山継松寺(三重県松阪市)
厄除け観音として有名です。743年に聖武天皇がこの寺を厄除け観音の霊場として創建したことから、日本最古の厄除け霊場といわれています。東海三十六不動尊霊場巡礼の第二十六番札所であり、開運厄除けのご利益があるとされています。
- 4.立石寺(山形県山形市)
立石寺は正式には「宝珠山立石寺」といい、東北を代表する霊場として人々の信仰を集めてきました。昔から厄除け、諸願成就、悪縁切りのお寺として有名で、災厄、災難を取り除いてくれると信じられてきました。
- 5.成田山新勝寺(千葉県成田市)
成田山は開山以来1060年の間、護摩供(ごまく)の香煙は一日たりとも絶えることがありません。厄除け祈願を含め年間1300万人余りの参拝者が訪れます。
- 6.喜多院(埼玉県川越市)
1296年、伏見天皇が尊海僧正に再興を命じた歳に、慈恵大師(元三大師)を祀り、関東天台宗の中心となりました。現在では「厄除けのお大師さま」として、近隣の深い信仰心を集めています。
- 7.西新井大師(東京都足立区)
天長の頃、公法大師が関東巡湯の際に、この地で悪疫の流行に悩む村人たちを救うために十一面観音をつくり、21日間の祈祷を行なったところ、枯れ井戸から清らかな水が湧き出て病が治ったと伝えられています。
- 8.厄除観音・法多山尊永寺(静岡県袋井市)
観世音名物団子を城に参上する際の土産にしたところ、将軍家より「くし団子」と命名を受けました。その後「厄除け団子」と呼ばれるようになり、参拝者の人気を集め、お参りしたあとにその団子を食べると一年の厄を免れるといわれています。
- 9.出雲大社(島根県出雲市)
出雲大社は縁結びの神様として有名ですが、正月三日には厄払いの行事も行なっています。42歳の厄男が番内さんに扮し青竹のささらを持って地面を叩きふりかざしながら町内をまわり「悪魔祓い(アクマンバライ)」と大声をあげて厄祓いをします。
- 10.大宰府天満宮(福岡県太宰府市)
厄除け祈願を受けた人には「御神符」と「御神酒」と「厄晴れひょうたん」を授け、この厄晴れひょうたんに中に願いを書いた紙を納め、自宅の神棚に祀り災難が降りかからないように祈ると、ご利益があるといわれています。
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まとめ
42歳の男性は働き盛りであり、この先もしばらくは仕事に邁進していかなければならないときでもあり、その一方で家族や自分の将来についていろいろと考えなければならないときでもあります。そういう意味では42歳の大厄は、最も重要なときであるといっても過言ではありません。
厄年は後で振り返ったときに、「あれは厄年だったのか」と思うことが多々あります。そのときに気づていれば、もっと良い対処方法があったかもしれません。迷信のようであなどれない厄年。うまく乗り越えたいものです。