中国から伝わってきた「くす玉」は現代では全く違った使い方になっています。本来の「くす玉」を端午の節句に飾る理由、そして七夕に飾られるようになったのはなぜなのかを書いています。
くす玉の歴史
古来の中国では、麝香(じゃこう)・沈香(じんこう)・丁子(ちょうじ)などの香料を玉にして錦の袋に入れ、糸や造花で美しく飾り菖蒲や蓬(よもぎ)などを添えて結びつけ5色の糸を長く垂らしたものを「薬玉」と呼んでいました。
悪疫払いや長寿を願って、端午の節句に柱や壁に掛けたといわれています。こうした中国の風習が日本に伝わったのが平安時代。宮廷や貴族の間では、贈答も行なわれたそうです。
江戸時代になると、庶民の間でもくす玉が親しまれるようになり、女の子の玩具として流行したこともありました。
端午の節句のくす玉
奈良東大寺の正倉院に「百索縷軸(ひゃくさくるのじく)」という大きな糸巻きが今も残っています。
「百索」とは、「百福百壽索(ひゃくふくひゃくじゅさく)」の称で別名を長命縷(ちょうめいる)、続命縷(しょくめいる)などともいい、端午の節句に5色の糸を身につけ、魔除け、招福とするおまじないのことです。
5月5日に薬玉を柱にかけたり身につけると邪気を払い、悪疫を除き、寿命をのばすと信じられてきました。当初日本では菖蒲と蓬(よもぎ)の葉などを編んで玉のように丸くし、これに5色の糸をつけていました。
旧暦時代の5月は梅雨の季節でした。邪気を払う、魔除けとされていた薬玉ですが、雨の続く季節には体調を崩しやすく気分も優れないことから菖蒲や薬玉の芳香によって空気を清浄に保ち、心を落ち着かせる効果があったことから、あながちただの迷信でもなかったようです。
そして、重陽の節供(9月9日)には薬玉と同じように芳香を放つ茱萸袋(しゅゆぶくろ)を作り香りの薄くなってしまった薬玉と取り替えたそうです。
室町時代以降は薬玉を飾る花は造花になり、麝香や沈香、丁字、龍脳などの薫薬(くんやく:鼻から吸って用いる薬。嗅ぎ薬)を入れるようになりました。
その後、この百索は菖蒲やよもぎなどの時節の花々などを飾った華やかな姿へと進化しました。
現代のくす玉
邪気払いの意味が強かった節句行事が祝い事に変化してきたように、くす玉も現在では邪気払いの意味はなく、単に飾りとして親しまれています。
飾り物のくす玉は、祝いを華やかにするため、割玉へと変化していきます。オープニングセレモニーや優勝記念などの祝い事の行事で、大きなボールが二つに割れ、中から紙吹雪が舞い散る様子を見たことがあると思います。
また、手まりや花玉などの丸い形のものは、「久」(ひさしい)、「寿」(ことほぐ)、「玉」の三文字を当てて「久寿玉」と書き、長寿や敬老祝いのプレゼントとしても喜ばれています。
七夕祭りのくす玉は「仙台七夕祭り」が発祥の地
戦後に入ってからくす玉は七夕にも飾られるようになりました。七夕でくす玉が飾られるようになったのは「仙台七夕祭り」が発祥の地です。
庭に咲いているダリアの花を見た店の主人が、七夕飾りに利用できないかと考え、きれいな京花紙をかごに付けたものを二つ合わせ丸くして飾ったのが仙台のくす玉の始まりです。
この華やかな飾りが評判となり、全国に広がったそうです。
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まとめ
中国から伝来した「くす玉」は薫薬の入った薬の玉で、邪気を払う、魔除けとされていました。端午の節句には欠かせないもので、戦後は七夕にも飾られるようになりました。
現代ではお祝いなどのセレモニーにも登場するようになり、本来の使い方とは違ってきています。