本願寺にはなぜ「西本願寺」と「東本願寺」があるのでしょうか?違いはどんなことでしょうか。また、築地本願寺が西本願寺である理由についても書いています。
西本願寺と東本願寺がある理由
京都観光で人気の観光スポット「西本願寺」と「東本願寺」。なぜ、東西に分かれているのでしょうか。
本願寺は京都東山大谷に親鸞(しんらん)聖人の廟堂(びょうどう)を創建されたことに始まります。のちに、この廟堂は本願寺と呼ばれるようになりました。
本願寺は、山科(やましな)や大坂などの各地を移転して、天正十九年(1591年)に現在の地(京都市)に寺基(じき)を定めました。
その翌年、本願寺第十一代・顕如(けんにょ)上人が往生されると、長男の教如(きょうにょ)上人が一度は本願寺を継がれました。
しかし、顕如上人は三男の准如(じゅんにょ)上人に本願寺を譲ることを記していたため、豊臣秀吉によって教如上人は隠居処分とされました。そのため、准如上人が本願寺を続職されました。これが現在の「西本願寺」です。
一方、教如上人は秀吉の没後、慶長七年(1602年)に京都烏丸七条の地を徳川家康から寄進され、そこに一寺を建立されました。これが現在の「東本願寺」です。
これによって本願寺は二つに分かれることとなり、立地の関係から准如の本願寺を「西本願寺」、教如の本願寺を「東本願寺」と通称呼ばれるようになりました。
なお東京の築地本願寺は、元和三年(1617年)、准如上人のとき西本願寺の別院として建立され、築地別院と称しましたが、現在は西本願寺の直轄寺院として築地本願寺と称しています。
東本願寺と西本願寺の宗派の違い
正式な宗派名は東本願寺は真宗大谷派、西本願寺は浄土真宗本願寺派です。政治的問題により分裂し宗派が違いますが、教義上は東西本願寺ともほとんど違いはありません。それは宗祖はどちらも親鸞聖人だからです。
焼香の回数は本願寺派は1回、大谷派は2回、仏壇の様式がわずかに違うところがありますが、そのくらの違いでしかありません。
築地本願寺は西本願寺の別院
築地(東京都中央区)は、日本の代表的な卸売市場である築地市場があることで有名です。その地名の由来は築地本願寺が大きく関わっていると言われています。
明暦三年(1657年)、振袖火事と呼ばれる歴史的な大火災により、築地本願寺(当時は浅草御堂)の坊舎が焼失しました。その代替地として幕府より指定されたのが八丁堀の海上でした。
そこで佃島の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築きました。地を築き再建されたお寺であることから、「築地御坊(ごぼう)」と呼ばれるようになりました。
元来、築地本願寺は、京都の西本願寺の別院として建てられたました。現在の築地本願寺は、伊東忠太氏の設計により、昭和九年(1934年)に落成しました。寺院建築としては珍しく古代インド仏教様式の外観で、国の有形文化財に登録されています。
築地本願寺は阿弥陀如来の平等で広大なはたらきに基づき、誰にでも開かれたお寺となっています。そのため拝観料は不要だそうです。
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まとめ
立地の関係から准如の本願寺を「西本願寺」、教如の本願寺を「東本願寺」と通称呼ばれるようになりました。政治的問題により分裂してしまいましたが、どちらの寺院も歴史のある素晴らしいお寺です。
築地本願寺は西本願寺の別院で、インド様式の珍しい外観です。築地市場や銀座、新橋など築地の近くを訪れたときには、ぜひ築地本願寺にお参りされてはいかがでしょうか。